第9回 未来挑戦型企業クローズアップ

第9回 未来挑戦型企業クローズアップ        
                           
 
未来挑戦型企業クローズアップ第9回目のゲストは、人材派遣・社員研修プログラムなど「四国の人と仕事のインフラ」として活躍するアビリティーセンター株式会社の三好潤子代表取締役です。三好氏は専業主婦から仕事に復帰し、当時としては新しい「派遣業」に参入しました。本インタビューでは、これから将来を考える学生に向けた、心に響くお話をいただきました。
 
 
      代表取締役 三好 潤子  
 
アビリティセンター株式会社はこんな会社です。

アビリティセンターは、四国の総合人材サービス会社です。企業・組織に対しては人材派遣や業務委託・社員研修などのサービスを、また求職者には人材派遣・紹介予定派遣、そして正社員の仕事情報を提供しています。「お客様には『人材のインフラ』、働く人には『仕事のインフラ』として四国経済に深く貢献しています。
【設立】 1986(昭和61)年
【従業員】 100名(2013年10月)
【本社】 愛媛県新居浜市 (事業所)新居浜、松山、高松、高知、徳島
【業務内容】 人材派遣業、人材紹介業、研修事業、アウトソーシング、再就職支援事業
【ウェブサイト】 http://www.abi.co.jp/
 
 
PART 1   主婦から派遣会社の経営者へ
 
―――会社経営に至る経緯をお聞かせください。
 私は、4人の息子を育てる専業主婦でした。「とにかく働きたい」という気持ちが強く、一番下の子が保育園に預けられる年齢に達した時に仕事復帰を決心しました。しかし、今から20年以上前のことです。当時は、専業主婦として4人の子供を育てながら13年間を過ごしてきた35歳過ぎの私を雇用してくれる会社はありませんでした。
 ちょうどこのころ、「労働者派遣法」(1986年施行)が成立して、人材派遣会社を設立した方がいました。そして、「働きたい、働きたい」と言っていた私に「では1日5時間でいいから手伝ってくれないか」と声をかけて下さったのです。
 
―――誘われて働き始めた会社が人材派遣会社だったのですね。
 日本では、長らく人材派遣が禁止されていました。外資系の人材派遣会社は存在していましたが、労働者は独立事業主として企業と契約する形式を取っていました。人を雇って他の会社に派遣することは、法律によって人材派遣業が認可されて初めて可能となったのです。
 私は、創立直後の派遣会社で働き始めました。しかし、当時はまだ「派遣」が認知されておらず、ハローワークの担当者もよくご存じありませんでした。派遣というシステムが存在していなかったので仕方ありません。また、都会ならともかく、四国で派遣業が成立するのか、派遣社員として働く人が本当にいるのかという不安もありました。「そもそも派遣というシステムが日本になじまないのでは」とも考えました。
 営業先では、人材派遣の説明に苦労しました。しかし、ある会社の研究熱心な人事部長さんに「こういった可能性があるのでは」と教えていただいたこともあります。こうして試行錯誤を続けていた最中に、私を誘って下さった派遣会社の創業者が辞めてしまいました。しかし、私には他に仕事がありませんし、少しずつ手ごたえを感じていたので、なんとか継続してみようと思いました。この時が今の会社の原点です。そのため、他社のように「創業時の経営理念」など持ち合わせてはおらず、ひたすら会社を存続させることに必死でした。
 子供を預けた保育園からは、19時を1分でも過ぎると電話がかかってきました。仕事でどうしようと悩んでいても、帰るときにはもう晩御飯のメニューを考えていました。「上手に頭を切り替えるには?」なんて迷っている暇もない状態でした。
 
―――最初にどういった事業を展開されたのですか。
 当時の女性は、何年か勤めた後、結婚を機に退職するのが常でした。また、たとえ自分が結婚しなくても、同期の女性が結婚退職をすれば自主的に退職していました。こうして若い女性は続々と退職していったのです。
 しかし、働きたいと希望する主婦はたくさんいました。そこで私達は、弊社に登録すれば働く機会があることを知っていただこうとしました。
 ひとつのきっかけはOA(オフィス・オートメーション)化の波でした。今から27~8年前のことです。当時は今と違って、データ入力作業ができる人材が不足していました。そこで、子育てが一段落した主婦の皆さんにタイピングを教えました。1分間に何文字入力できるか計測しながら繰り返し練習していただき、一定のレベルに達すると企業に派遣しました。すると非常に多くの会社が歓迎してくださいました。
 設計業界も同じでした。昔は手で作図していましたが、当時はCAD(キャド、Computer Aided Design, コンピュータを用いた設計)の導入期にあたっておりました。そのため、データ化にはやはりオペレータが必要でした。文書でもデータでも、全部オペレータが入力する時代だったのです。そこで、仕事から遠ざかっていた女性に技術を習得していただき、派遣していきました。
 
 
 
創業20年を記念して刊行された記念冊子
「アビリティーセンター 20年のあゆみ」
 
三好社長が創業から現在、そして未来を振り返ります。
本冊子を一読すると、時代によって「人材」や「サービス」に対するニーズが変化してきたこと、そして、これに的確に応えることで成長してきたアビリティーセンターの軌跡が分かります。


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