第7回 未来挑戦型企業クローズアップ



未来挑戦型企業クローズアップ第7回目のゲストは、スーパーマーケットチェーン「エイビィ」を運営する株式会社エイヴイの木村忠昭代表取締役社長です。本インタビューでは、一代で地域有数の流通企業を築き上げた経緯や経営戦略、学生に向けたメッセージをお話しいただきました。

 
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 代表取締役社長 木村 忠昭 氏


 
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株式会社エイヴイはこんな会社です。
株式会社エイヴイの前身は昭和40(1965)年創立の株式会社木村商店です。その昔、ペリーが黒船で渡来した最初の土地に、小さな食料品店を開業したのが始まりです。昭和58(1983)年、チェーンストア経営に目覚め、時代に先駆けてスーパースーパーマーケット(SSM)を開発しようと社名を 「エイヴイ(ave)」と改めました。そして今では、3,000坪の大型店を有する地域有数の流通企業へと成長をとげました。
【設 立】 1983年11月
【従業員】 870名(パート・アルバイト含む)
【本 部】 神奈川県横須賀市
【業務内容】 
  スーパーセンター(SuC)の経営
  コンビネーションストア―(CbS)の経営
  大型スーパーマーケット(SSM)の経営
 
スーパーマーケット業界を志すまで

スーパーマーケット業界を志された理由についてお話しください。

母の実家の商店で覚えた商売の喜び

201311211524_2-300x0.jpg 母の実家は、田舎の食料品店、いわば「何でも屋」でした。私は小さい頃、夏休みなどにはお店の手伝いをしていました。
 私が幼少期を過ごした昭和20年代は、モノが不足していた時代でした。お店の店員も、わざわざお客様に対して「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と挨拶しないのが当たり前でした。
 しかし、私の自宅近くの食料品店のご主人は、いつも元気よくお客様にご挨拶をされていました。それを見た私は、母の実家のお店を手伝う時にマネをして「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました!」と言ってみました。すると、お客さんがとても喜んでくださりました。私は本当に嬉しくて、単純な動機と言われればそのとおりですが、この喜びが商売の道に入るきっかけとなりました。


プロパンガスへの参入

 私が中学の時に祖父が亡くなると、母の実家のお店は叔母が継ぎました。私も手伝いましたが、ちょうどその頃、家庭で使う燃料が薪・炭からプロパンガスへと移行する過渡期でした。私はプロパンガスを商品として扱いたいと思いましたが、叔母は「そんな危ないものはダメだ」と反対しました。しかしその後も私の決意は変わらず、2年後、ついに叔母は認めてくれました。こうして、プロパンガスは私が自分で扱う初めての商品となりました。
 プロパンガスの商売は順調に進み、近くに大きな団地が建設されると積極的に売り込みました。住民の半数の方にお客様となっていただけた団地もありました。しかし、ある時、都市ガスが進出してきました。すると、プロパンガスから都市ガスへの切り替えが急速に進み、その結果、私は大量のお客様を失ってしまいました。
 
渥美 俊一氏の理論に触れる

  「このままではだめだ」と危機感を抱き、いろいろ考えを巡らせました。ちょうどその頃です。本屋で、経営コンサルタントの渥美俊一先生の記事と出会い、大きな衝撃を受けたのでした。当時、読売新聞に連載されていた渥美先生は、日本の物価が欧米諸国に比べて非常に高価であると批判されていました。時代は、モノ不足に苦しんだ昭和20年代が過ぎ去り、昭和30年代に入っていました。しかし渥美先生は、たとえモノが溢れようと、物価が下がらなければ欧米人のような豊かな生活は享受できない、しかしそのために必要な供給者が日本には存在しないと指摘されたのです。
 
渥美 俊一 (1926-2010年)
 日本におけるスーパーマーケットの創設に貢献した経営コンサルタント。米国では、日本よりはるかに豊富な商品が低価格で売られていることに注目、その秘訣は流通にあると考えた。そこで、日本が真に豊かになるには流通革命が必要と考え、米国のチェーンストア理論(スーパーマーケット、ファミリーレストラン、ファストフード等)を導入、ダイエーやイトーヨーカ堂、ジャスコ(現イオンリテール)、西友などの創設を理論的に支えた。


流通業界への参入

 この記事を見た時、「そういう世界があったのか」と流通業界に魅力を感じ、この分野の勉強を始めました。そして、流通先進国であるアメリカを視察しました。スーパーマーケットの本場アメリカの激しい競争を自分の眼で見て、自分が目指すイメージを持つ必要があると思ったからです。
 チェーンストアは、ある程度の店舗数を確保しなければ途中で立ち行かなくなります。しかしアメリカでも、決して大手ではないが地域企業として成長しているスーパーマーケットが存在しており、地域の零細企業に過ぎなかった私は、ここからも生き残りのヒントを得ようと努力しました。
 その頃、スーパーマーケットの面積は250坪程が理想とされていました。これは品揃え的にも一番バランスが取れる面積です。しかし、叔母の店を据え置いて他に新規店舗を出店するわけにはいかず、まずは売り場面積60坪の店を作りました。その後、90坪の2号店、70坪の3号店を出し、4 店舗目で遂に240坪の店をオープンすることができました。
 この4号店は、非常に驚くべきことに従来店舗と収益が全く異なりました。また、新規店舗出店と並行し、従来は取り扱っていなかった生鮮食品(青果、精肉、鮮魚)も積極的に販売しました。
 ある程度の成長を遂げた時、「出る杭は打たれる」という諺にあるとおり、例えば出荷を止められた時もありました。しかし、逆境に立たされるとむしろファイトが湧きました。「捨てる神あれば拾う神あり」、そこがダメなら他から買えばよいのです。幸い、多くの方に助けていただきました。人は逆境で挫折することが多いですが、他に道はいくらでもあると信じれば、必ず前に進めると考えています。


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